こんにちは、ゆうきです。
今回は畑村洋太郎さんの書かれた、【畑村式「わかる」技術】を紹介します。
この本は、そもそも「わかる」ってどういうことだろうという疑問に答えるための本です。
そのため、この本を読んだからといって何かが分かるようになるわけではありません。
でも、何かが「わかる」ようになるためのきっかけにはなると思います。
僕自身、仕事や勉強をきちんと理解できている自信がない時があります。
そんな時は自分の理解力の低さを呪いたくなるのですが、この本を読んだことでそもそも自分は理解力について間違った認識を抱いていたのではないかと感じています。
この記事の構成は以下の通りです。
- そもそも「わかる」ってどういうこと?
- 「わかる」ようになるために大切なこと
- 「わかる」ようになるためにできること
- 「わかる」を活用する方法
それでは順にお話しします。
そもそも「わかる」ってどういうこと?
そもそも「わかる」とはどういうことなのでしょうか?
何を持って僕たちはあるものを「わかった」と感じるのでしょうか?
著者曰く、人は対象を自分の中のテンプレートと一致させることができた時、わかったと感じるのだそうです。
そもそも世の中の事象は、要素と、要素によって構成される構造、そして複数の構造によって構成される構造、さらには構造によって生まれる機能からなります。
そして「わかる」の度合いは、事象のどの段階において一致を見出すことができるかに応じて差が生じるとのことです。
著者はそれを三つの段階に分けています。
すなわち、「要素の一致」、「構造の一致」、そして自分の中に「新たなテンプレートを構築」した時、「わかった」と感じるのです。
面白い例が紹介されています。
みなさんはジョン万次郎をご存知ですか?
彼は江戸幕末期に高知県で漁師の中浜家に生まれた方ですが、14歳の時に漂流し、アメリカの捕鯨船に助けられ、そのままアメリカで数年間暮らします。
その後帰国してからは日本とアメリカの架け橋になるなど、大いに活躍されるのですが、当然のことながら当時の日本人にとってアメリカは完全に未知の世界です。
そんな未知の世界で、ジョン万次郎はどのように物事を理解していったのでしょうか。
著者の推測ですが、例えばシチューを初めて食べるとき、そのまま新しいテンプレートとして理解したのかもしれませんが、あるいは「具入りの汁」として味噌汁と同様の要素と構造を見出し、自分の中のテンプレートと一致させて理解したのかもしれません。
これがテンプレートの一致によって「わかる」ということです。
大雑把ですが、対象を抽象化して捉えることと言ってもいいと思います。
さらに著者曰く、「直観でわかる」ことが理想であるとのことです。
みなさんも、高校数学において確率などの問題を解く際、パターンをしらみつぶしに調べたことはありませんか?
例えば、要素A・B・Cにはそれぞれ3通りのパターンがあるとします。
その場合、考えられる場合の数は3×3×3で27通りです。
この程度ならしらみつぶしに調べることは簡単ですが、何千何万通りとなると、そんなわけにはいきませんよね。
ですが、そもそもありえないパターンを除外することができれば、無駄な労力を省いて正解に至ることができます。
というより、A→Cのように飛躍的に正解に至ることもできます。
簡単にいうと、これが「直観でわかる」ということです。
これが可能になるためには、そもそもしっかりと構造を理解していること、そして過去にそのことについて徹底的に考え抜いた経験があることが必要とのことです。
「わかる」ようになるために大切なこと
ここでは、この本を読んで僕が個人的に感じた「わかる」ようになるために大切なことを紹介します。
まずは、【直観】と【直感】を区別することです。
直観とは、過去にある対象について徹底的に考え抜いた経験によって生まれるものです。これは構造に対する深い理解から「わかる」ことをベースとしており、「やったことがある」「知っている」程度の経験主義とは異なります。
対して直感は、感情を揺さぶる刺激の源から得た何か程度のものです。「わかる」ではなく「感じる」と言った方が適切です。
次に、形式論理に注意することです。
形式論理とは、ある事象について、その内容を深く検討することなく形の上から真偽を問う論理展開のことです。
例えばある少年犯罪を論じる際、少年が残酷なゲームに熱中していたことをもって、そのゲームと犯罪との間に因果関係を見出すような場合です。
表面的には正しいように思えますが、何の根拠もありません。
このようなことを堂々と言うコメンテーターはよく見かけます。
ただ、自分では認知できていないだけで同じような過ちを犯している可能性は高いと思います。
最後は、詭弁の論理に注意することです。
例えばある条件下で成り立つ三段論法を、条件が変わったにも関わらず相変わらず正しいと主張する場合などに使われます。
これはビジネスなどの交渉の場面でよく見られないでしょうか。
個人的には、当然騙されないように注意するべきですが、自分または相手が気づかずに詭弁の論理を使ってしまうことにはそれ以上に注意が必要だと思います。その場合、詭弁の論理を使っている本人に悪気はありませんが、場合によっては重大な信用問題になりかねません。このことからも本当に「わかる」ということがいかに大切か感じられると思います。
「わかる」ようになるためにできること
この本では、「わかる」を促すために日頃からできることがいくつか紹介されています。
特に、「直感でわかる」ことを重視しているようで、暗記の大切さも説いています。
最も身近な例は九九でしょう。
九九の数字は、暗記してしまえば計算ではなく反射で答えられますよね。
同じ理屈で、何らかの言葉や数値を暗記することで、物事を「直感でわかる」助けになるとのことです。
これは私見ですが、人間の行動の9割以上が無意識の活動によるものと言われているので、同様に日常の生活は無意識下のレベルで「直感でわかる」が行われ続けているのではないでしょうか。
さて、本題に戻りますが、僕は「自分でテンプレートをつくる」ということに一番興味をそそられました。
というより、これが一番大切なことなのだと思います。
その方法を要約すると、要素を抽出し、仮説を立て、検証する。これを仮説立証といいます。仮説立証の訓練を繰り返すことで、思考経路が形成され、「直観でわかる」力がどんどんついてくるとのことです。
「わかる」を活用する方法
最後に、「わかる」を活用する方法について、話し上手と聞き上手の人を例に紹介します。
まずは話すことについて。
面白い話をする人と、そうでない人との違いは何だと思いますか?
同じ内容の話をする二人について、片方は面白く話すことができ、もう片方はそうでない。
この違いは一体どこから生まれるのでしょうか?
話の内容を組み立てる順番でしょうか?
あるいは話す人の人生経験の違いでしょうか?
著者曰く、それは話が立体的であるか否かです。
あるいは、立体度と言ってもいいかもしれません。
つまり、聞く側が話の内容をいかに立体的な構造として捉えられるか、それによってテンプレートを作ることができ、「わかった」と思えるか、そこに違いが生まれるのだそうです。
確かに、自分の中で「わかった」という感覚が生まれる話は面白いですよね。
これは逆に聞き上手の人にも同じ理屈が当てはまります。
つまり、自分の話を立定的な構造として捉えることができる、テンプレートを作ることができる、「わかった」と思えることができる、そのような方向に話し手を誘導できる聞き手こそが、聞き上手な人なのです。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
この記事では一部の内容を紹介させていただきましたが、200ページ以下のそれこそ「わかりやすい」文章で書かれた新書ですので、興味のある方はぜひ読んでみてください。