こんにちは、ゆうきです。
さて、前回に続き本についてお話しさせてください。
今回は、20世紀フランスが生んだ天才作家アルベール・カミュによる不条理文学の最高傑作【異邦人】を紹介します。
カミュは1956年になんと46歳の若さでノーベル文学賞を受賞しており、これは戦後最年少です。
受賞の理由は、「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に対して」とのことです。
いったいどういう意味でしょうか?
優れた文学は常に、その時代の様相や人間の本質を明らかにしますが、彼の文学を読めば何が見えてくるのでしょうか?
僕がこの本を読んだのは、確か大学に入学したばかりのころでした。
この本を初めて読んだ時の感想は、さっぱり分かんねー、です。
そもそも面白いのかどうかもよく分かりませんでした。
初めて読んだ時、僕は主人公がとても正気とは思えず、頭のおかしい人間の奇妙の行動を見せられた気分になり、正直なところ不快感すら覚えました。
でも妙に印象的で、心に焼き付いて、そして正気とは思えない主人公に不思議な羨望の念を抱いて。
そう、読後はなかなか頭から離れなかったことを覚えています。
そして、そんな印象すら時間のせいですっかり忘れてしまったころ、ある時ふと全身に電撃が走り、【異邦人】が偉大な作品であることが理解できたのです。
そもそもなぜ僕が今回この本を紹介しようと思ったのか。
それは、昨今の国際情勢、格差社会、超情報化社会において、正しさに対する認知を自分なりに問い直したい、またそのようなメタ認知の姿勢をあらためて確立したいと思ったからです。
では簡単に紹介します。
なお、ネタバレを含みますのでご注意ください。
僕が読んだのは新潮文庫版の窪田啓作訳で、冒頭1行目いきなり「きょう、ママンが死んだ。」で始まるのはとても有名です。
主人公の青年ムルソーは、母の葬式では涙を流すどころか感情すら見せず、帰ったら海水浴へ行き、おまけに情事に耽ります。
はじめて読んだ時、まずいきなり意味不明で、とても不快になりました。
でも、なぜ不快なのでしょうか?
いやいや、母親の葬儀の後海水浴に行って、女の子と遊ぶなんてありえないでしょ!
では、僕たちは彼にどんな行動を求めているのでしょうか?
普通の行動だよ!もっと悲しんで打ちひしがれるだろ!
なるほど。分かりました。
では、仮にあなたの母親が亡くなって、あなたは特に悲しみを感じなかったとします。その時あなたはどのような行動を取りますか?
僕なら悲しんでいる振りをすると思います。
周囲の人々から、ひどい人間だと思われたくないからです。
しかしムルソーはそうしなかった。
ムルソーは正直者なのでしょうか?
だとすれば、正直はこの世界において賞賛されるべき美徳であり、よって彼の行動はそのような観点において評価に値するのではないでしょうか?
でも、この世界ではそんなムルソー的行動は賞賛されないようです。
その後もムルソーは奇妙な、一般的には奇妙と思われる行動を取り、ある時人を殺してしまいます。
法廷で殺人の理由を問われた彼は、「太陽のせい」だと答えます。太陽が眩しかったからだというのです。
それに対して人々は激怒します。
怒って当然です。
ところで、そんなムルソーを前にしたら、あなたはどんな感情を抱き、彼に何を言いますか?
僕なら、小説における人々同様、怒り、そしてこう言うかもしれません。
もっとちゃんとした理由があるだろう!
ちゃんとした理由?
何でしょうかそれは?
まるで正当な殺人が存在するかのような主張ではないでしょうか?
でも、ここでもやはりムルソーは受け入れられません。
この世界においてムルソー的行動は、まさに【異邦人】のそれでしかないからです。
【異邦人】が第二次世界大戦の最中刊行された作品であるというこは、とても示唆的であると思います。
戦争による殺人、暴力、破壊。勝利に歓喜する国民と、息子の死を嘆き悲しむ母親。まさしく、「この時代における人類の道義心に関する問題点」がそこにあるように思います。
【異邦人】は文庫本で150ページ程度とさほど文量の多くない作品でありながら、とても濃密です。
濃密というのは、単に物語の筋が面白いだけではなく、深く深く考えさせられるためです。
短い感想になってしまいましたが、何分古い記憶から引き出したものですので、間違いがありましたらご指摘いただけますと幸いです。
この記事を読んで少しでも【異邦人】に興味を持ってくだされば嬉しいです。