あの日の読書!安倍工房【砂の女】の思い出


こんばんは、ゆうきです。

皆さんは安倍工房の【砂の女】という小説をご存知でしょうか?

僕がこの作品を読んだのは大学1年生のころだったと思います。

初めて読んだ時は単純にストーリーの面白さに惹かれました。

ただ、社会人になってからは度々この小説を思い出し、その度にこの小説の中に今まで気づけずにいた新しい視点を得られます。

あらすじを説明します。

この先はネタバレにご注意ください。

ある教師の男が、休暇を利用して昆虫採集に出かけ、その先でとある部落に立ち寄ります。

そこはとても不思議な部落で、それぞれの家は砂の穴の中に建ち、住民は穴の中に流れ落ちる砂をせっせと掻き出しています。

男はとある家で宿を取らせてもらいます。

そこは寡婦が一人で住んでおり、やはりせっせと穴の外に砂を掻き出しています。

一夜明け、男は、穴の中に降りるために掛けられていた縄梯子が外されていることに気づきます。

男は閉じ込められました。

もちろん必死に抵抗しますが、まず生き埋めにならないために自身も砂を外に掻き出さなければなりません。

それでも常に脱出の機会を伺います。

そしてとうとう脱出が叶いますが、運なくあっさりと捕まり、また同じ穴の中に戻されます。

やがて女は妊娠し、出産のため穴の外に出されます。

男は一人穴の中に残されました。

なんと外に出るための縄梯子は、無造作に掛けられたままです。

脱出する絶好の機会です。

さあ、逃げるのだ。今こそ逃げて自由になるのだ。

男は外に出ました。

まさに自由が広がっています。

しかし男は逃げません。

あろうことか穴の中に戻っていきます。

なぜでしょうか?

そのころ溜水装置の研究が男の日課になっており、研究を続けるために残ったのです。

逃げる方法はまた明日にでもゆっくり考えればいいと言うのです。

これが物語のあらすじです。

不思議な小説ではないでしょうか?

男の中に何が芽生え、何が起きたのでしょうか?

この小説は、自由、隷属、順応、さらにはイデオロギー、時代背景など、さまざまな観点から論じられます。

でも僕はこんな風に思うのです。

男はたまたま行き着いたこの砂の部落から逃げたいのではない、むしろ男は部落へ逃げてきたのであると。

そして、この砂の穴の中にいることは不安だが、砂を掻き出すことで心の平穏を得ている。

つまり、逃げた先であえて適度なストレスに身をさらし、それと戦う自分を作ることで、そんな自分という存在とその人生に自分なりの価値を与え、心のバランスを保っているのだと思うのです。

もしかしたら安倍工房は、世の中の人がやっていることなんて、穴の中から砂を掻き出し続けているようなものだと言いたかったのではないでしょうか。

そしてみんな、いつか逃げる、いつでも逃げられると思いながら過ごしている。

でもいつか砂を掻き出す体力がなくなってしまったらどうするのでしょうか。

何だか暗い話になってしまいましたね。

【砂の女】は人生について、社会と自分との関わりや、自由や意志といったものを強烈に意識させてくれる作品です。

しかもストーリーがそもそも抜群に面白い!

皆さんもぜひ一度この小説を手にっていただければと思います。


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